親も子も幸せの形

この前、ある講演会に参加して、子育て真っ只中のみなさんに伝えたいと思ったことを今日は書きます。(ある講演会とは、Ai-amオヤトコ発信所のよっぴー&まりんさん親子の新しい書籍の出版記念講演会@鳥栖です!)

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「我が子が寝返りをしたり、つかまり立ちをして、手を離した!」でも、歩こうとしたけど、まだ上手くあるけるはずもなく、1歩目だけで座りこんでしまいました。



その時、私たち母親は嬉しくて、褒めますよね。歩こうとしたことが嬉しかったり、その様子が可愛かったり。
赤ちゃんの時のこの気持ちを、次第に忘れていくんですよね….

例えば、上手くひらがなが書けないとか、赤いりんごを見ても「青」と言ったりしたとします。
そんな時、その子のありのままの今の様子よりも、


「なんで出来ないの?」と他の年齢の子と比べたり、そうじゃない、と否定したりしてしまいます。

そんな時、親は知らず知らずのうちに「親の私が教えなきゃ」というスイッチが入ってしまいます。

もし、さっきの一歩を踏み出そうとした赤ちゃんに、そうじゃないでしょ、と足を持って、「もっとこう左足もしっかり出しなさい」とか教えようとしたとしたら、きっと赤ちゃんは意欲を失ってしまうかもしれませんが、そこで笑顔で見守って、褒めてもらえた赤ちゃんはどんどん歩けるようになっていきます。

何を言いたいかというと、親が教えなきゃ、というスイッチが入った途端、上手く出来ないと「ほら、また失敗した」というような上から目線になってしまい、親子関係が上下関係みたいになっていく、ということです。

「ごはんを食べないと大きくならないよ」や「野菜食べないと病気になるよ」のような声かけも、同じ原理です。子どもがわかっていないから教えなきゃ、という気持ちで言ってしまいますが、それが良い方に働くことはあまりないそうです。
言っても言っても、聞いてくれない、何度も言ってるのに!と怒ってしまったりと悪循環。



寒い日にお母さんは子どもに上着を着せていました。
子どもが「暑いよー、脱ぎたいよー」と言いました。
お母さんは「風邪ひくといけないから着ておきなさい」と言いました。

これは、親の意見で子どもにそうさせている、という例えです。

このお話をされた方の考えでは、4歳以降は自分の考えをしっかり持っている一人の人として、対等に話を聞いて、尊重する心構えが必要だと言われていました。

3歳までに親や周りの人から色々なことを学び、自分なりに物事を考えるようになるそうです。
それが経験が未熟だったりして、まだ間違えることはいっぱいあるけど、大人だって間違えることはあります。

親の支持が強すぎると、次第に「親の前ではお利口さん」を演じたり、思春期になって反発が強く出たりしがちです。一般常識よりも、その子の感性を大切にする、ということは簡単ではないかもしれません。

私も息子の不登校に直面し、将来の不安よりも今の息子を見ることの大切さがわかっていても、色々な葛藤で揺れ動きます。

心に留めておきたいと思ったお話だったので、久しぶりにブログに書き留めました。

お母さんたちがいっぱいいっぱいなのはわかるし、そんなの分かってるよ!と言いたくなる気持ちもわかります。

私もそんな悩める母親の一人ですから。

だから、誰か一人でもこれを読んで、そっかーと良い気づきに変えてもらえれば嬉しいです!


オヤモコモ
山下千春